共に歩んできた60年という時間

橋本令子さん(81)

%e2%91%a0

この夏、すだち農家の橋本純一さんを取材させていただいた。取材中、何度も見られた純一さんと奥様の令子さんご夫妻の微笑ましい掛け合いが、真夏の炎天下での作業の疲労を和らげ、その場の空気を和やかにしていくようだった。

 

すだちが収穫の時期を迎えると、予措(よそ※)の風景を収めに次から次へと取材にやってくる。収穫作業だけでも手一杯な中、丁寧に取材に応える純一さんに、奥さまの玲子さんがニコニコしながらこう言った。「お父さん、モテてモテてやなぁ」。それを聞いた純一さんは、いたずらっぽく笑いながら言った。「妬くなよ」。
何かを成し遂げてきた男性のそばには、そっと寄り添い支え続ける女性の姿があることを、これまで取材させていただいた方たちの中で何度か目にしてきた。その女性の姿をこそ紹介したいと思った。

 

令子さんも、そんな女性のひとりだった。橋本家に嫁いでからずっと、農業に勤しんできた。長時間に及ぶ単調な作業をひとつひとつ丁寧にこなしていく姿、一緒に働いている方たちへの気遣い、時々見せる少女のような笑顔、魅了されてしまう姿がそこにはあった。
※予措(よそ):収穫した実を直射日光が当たらない場所に並べ、一旦乾燥させる。天気が良い時なら4~5日。水分を5~6%減らすことで腐敗しにくくさせる。その後、乾燥したすだちは専用の袋に入れて冷蔵する。

 
■すだちとの向き合い方、人との向き合い方

□摘果・摘葉
すだち畑に向かってみると、コンテナに座りながら作業をしている令子さんの姿があった。

%e2%91%a1
「私はいつもここから。ここから見たらな、案外よう見えるんよ。」
いつもは外側から見るすだちの木を、内に入って眺めてみた。葉と葉の間から木の内側に差し込んでくる太陽の光が、たくさん茂っている葉っぱの場所を教えてくれていた。
□予措(よそ)
収穫が始まると、令子さんの仕事は、すだちを冷蔵して保存するために、すだちを袋詰めしていく作業が中心となる。純一さんたちの手により収穫されたすだちは、家の蔵や倉庫、そして玄関など風通しの良いところで、すだちの青さが保てるように、直射日光を避けた屋内の床に平に並べられていく。玲子さんは、そのすだちを2kgごとに専用の袋に入れていく。

%e2%91%a2

「切り口が綺麗に切れとったらいいんやけどな、斜め切りになっとったら、袋をついてするけんな、ほれは中(央)へ入れて・・・。なかなかな、切り口が綺麗にまっすぐ切れとるんもあるけんど、長うに残っとんがあるんよ、切る人も長うに切らんようにしよんじゃけんどな、みな一生懸命とっりょったらわからんでぇな、ほなけん、なかなか。
そんなんがなかったらすぐにぱっと入れれるんやけどな。いろいろひとつひとつしよったら、なかなか袋に入れれん。ほなけん、ちょっと長いやつはちょっと横へ置いといて、間(袋の中央部)へ入れていくんよ、袋に切り口が触らなんだらええけんな。ささっと放りこむんだったら早いんじゃけどな」

袋に穴が開いてしまっては、すだちが長期保存できなくなるため、慎重な作業が続く。作業は朝から夕方迄延々と続き、ひとつの場所が終わってはまた別の場所へと移動する日々が続く。すだちを詰める袋の数は千を超えるという。

 

そしてそんな大変な作業が続く中、令子さんはお手伝いに来られている人たちに、休憩時間が来たり、仕事を仕舞う時間が来るたび、「はよう上がってよ」、「もうええけんな」とこまめに丁寧に声を掛けられていた。

 

「みな、なんぼお金出して雇うとるけんって言うたってな、えらいめ一緒よ。」

 
■嫁いできてからのこと

橋本家にお嫁に来たのは、令子さんが21歳のときだった。

 

「その頃は家に十人おったよ。(純一さんの)弟三人と妹とで、兄弟が4人まだ家におったけんな。私らふたりと、両親と、おばあさんと、ちょうど娘ができたら十人。(笑)」

 

大家族だった。家は田んぼも畑もあり、蚕も飼っていたという。
「今より忙しかった。もう、楽しいや思えなんだな。」

 

その一方で
「忙しかったけんど、まあな、小さい頃から一緒に大きいなった子ばっかりやけんな。お嫁に来たんが、21歳かなぁ。他の兄弟はみんな小さかったけんな、ほなけん私と兄弟ようなもんでな。兄弟というか、自分の子みたいな感じじゃ、ちょっとな。ほなけん家に遊びに来た時でもほなに「なんやないでよ(なにも特別なものはないよ)」って言うてもいける。」

 

一緒に暮らしていた純一さんのご兄弟とは、今でもいい関係が続いている。

%e2%91%a3

嫁いできて、60年。
令子さんにとって純一さんはどんな人だったんだろう。

 

「ほうやなぁ。文句言わんなぁ、あんまり。ほなけんいけたんじゃなぁ。」

 

「私が体でかなわんけん、口でいろいろ言いつけるで。ほなけん、養子でもないのに「養子はつらいのう」って。養子でもないのに。『ばあにやられる』じゃの『養子はつらい』じゃのばっかり言うとんよ。ほなけんどまあ文句も言わんとおってくれるけん、まあええわなぁ。ほんまええんちゃう。」

 

「若いときは無口やったな。今がよう喋る。前はほんな言わんかった。年いってよう言うようになった、孫やができてきてな。」

 

今、夫婦の間にほとんど喧嘩はないという。

 

暮らしの中では、いろいろ気になることもある。
「電気つけて、点けるんは点けて、消すんはよう忘れとう。飲み物飲んだらビン放っとくときもあるんでよ。ほなけどほのぐらいは辛抱してせなんだら。一生懸命してくれよるけんな、見たもんが気いつけて後へ回ってな、始末したらええんじゃって私は思うん。」

 

「一生懸命してくれている。」令子さんの言葉の中にはいつも、純一さんへの感謝と揺るぎない敬意が感じられた。

 

「夜は夜で一杯飲んみょんよな。お父さんひとりほっといて『まあごゆっくり、いつまで、何時間でもいきよ。湯呑はあとで洗うけん、流しへ持って行っといてよ』って言うたら、『わしやってこれぐらいは結構洗う』って言うんよ。ほなけど洗てもろたら、ちゃんと洗えてないん。『ま、置いといて。また洗いにくるけんな』って出て行くんよ。ほたら(そうしたら)『わし、よっぽど洗おうと思いよるんじゃけど、ばあがよっぽど洗いたそげに言うけん、置いとくわ』や言うて(笑)

 

 

■息子さん家族のこと

 

「最近、孫に『しわ(の数)読んだげようか?』って言われる。『読めん』って。ほら読めんわな。なかなか読めんじょ。(笑)」

 

ふたりのお孫さんは、今、県外にいる。

 

「おじいさん待って待って、待ち遠しい。おじいさん、もう、ほんまに。ほんだけ年寄ったんじゃ。子供の時や子供のことやなんも言えへなんだのに。まあな。帰ってこい、帰ってこい言うて」

 

息子さんが亡くなって来年で13回忌を迎える。

 

「孫が2年生のときじゃったけんな、ほんなんで(お嫁さんが)ひとりになっても可哀想なでぇ。今は勤めよるけんまあな、百姓やは、なんやしてとも言えへんの。自分のことが出来たらええわと思て。」

 

「あの子がおったらなぁと思うんやけどなぁ・・・。」

 

令子さんにとっても大きな出来事だった。

 

息子さんは高校を卒業し、東京の大学に行ったが、神山に帰ってきた。

 

「向こうで就職してもええよって言うても、『いや、家に帰って農業する』って言うて。『ウチが辞めたら百姓する家ないでぇ』や言うてな。」

 

「消防団に入って、消防にも出たり、地域のなんやかんやにもよう出てなぁ、よう出るんじゃわよ。ほなけん、前はホームステイっていう外人さんが来て泊まったりするんがあったんよ。毎年夏が来て、ウチへ来てくれよったんじょ。一緒にごはん、晩はバーベキューしてな、あくる日どこや連れて行ったげたりして。

 

大南さん(現NPOグリーンバレー理事長)と一緒にしよったけんな。大南さんやとアメリカへ一緒に行てな。アリスよりもっと前ちゃうで。ほのときまだグリーンバレーやなかった最初、はじめのときかなぁ。

 

食べれんぐらい大きいステーキが出てな、食べれんかった、や言うて話しよった。」

 

少しだけ遠くを見つめながら話す令子さんの中に、息子さんが生きている気がした。たわいもない息子さんとの会話が、特別な会話となって胸に刻まれていった。

 

「まあな、息子もな・・・可愛らしかったんよ。」

 

涙が溢れそうになった。母親として、どれだけつらく大きな出来事だったことか。

 

「辞めたーいけどな、しゃあない、孫が大きいなるまでは。」

%e2%91%a4
在りし日の息子さんを思いながら、令子さんもまた、純一さんとともに、これからもすだち農家としての歩みを続けるのだろう。

Tweet about this on TwitterShare on Facebook