「じっと手をみる」 あるひとりのすだち農家

橋本純一さん(84歳) 神山町在住
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すだち農家になって、来年で60年。すだち農家としての還暦を迎える。
今回、橋本さんにお話を伺いたいと思ったのは、神山で同じくすだち農家を営む佐々木宗徳さん(40歳)と、60周年を迎える神山町のすだち栽培のことを話していたときのことだった。

 

「橋本さん、今でもすだちの苗木植えよんでよ、84歳でよ。」

 

佐々木さんの口からふと漏れた、驚きともため息ともつかないこの言葉に、私は心を動かされた。80歳をこえた今なお、すだちの若木を植えつづける。そこにある橋本さんの想いを知りたいと思った。

 

 

■すだちとの歩み

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橋本さんは、神山ですだちが本格的に栽培されるようになる以前の1932年、農家の長男として生まれ、後継ぎとして育った。そして25歳のときに、神山ですだち農業を本格的に始めることになる「果樹園芸同志会」の創始メンバーになった。

 

「昔はな、農業って言うんは大事じゃった。国の基本じゃったけん。こまいときからほういう風にして育てられとるけんな。昔はな、古いおじいさん(曽祖父)は郡会議員したりしとって、社会学の博士みたいな人じゃった。この人は私を医者にするって言うたんじゃけど、若いおじいさん(祖父)の方がそんなん絶対あかんって。古いおじいさんは中学校へやろうとしたけど、若いおじいさんは農学校。長男じゃったけんな。勉強できたら家におらんようになるっちゅうて。ほんなんじゃった。あんまり抵抗もなかったけんどな。農業をせないかんと昔のことやけん思っとった。」

 

そうして橋本さんが農業を生業としてまもなく、すだちを専門とする「果樹園芸同志会」が立ち上がった。

 

「皆すだちをせんか?って言うて。もうほなけんど始めた人は亡くなってしもて、多方おらんわ。私は若かったけん。今は3人残っとって一人の方はもう92か、もうようしよらんわな。まあ、大けな事業して儲けた訳ではないけんどな。まあまあ辛抱しながらやってこれたかいなと。ほれだけのこっちゃな。」

 

橋本さんは、当時のこと、当時のメンバーのことを話してくださった。
60年と言葉で言うのは簡単なことだけれど、本当にひとりの人が生きた60年という時間とは、一体どんなものなんだろう。

 

農業がまだ国の基本と考えられていた時代のことを、私は橋本さんの言葉をたよりに想像するしかなかった。

 

5月、今年も白く可憐なすだちの花が咲いた。濃い緑の葉が生い茂るすだちの木の枝々にいっせいに開花したその花は、ほのかな甘い香りを漂わせていた。

 

 

■摘果摘葉
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すだちが収穫の時期を迎えるひと月ほど前の7月中旬、橋本さんが摘果(てきか)・摘葉(てきよう)の作業をしている現場に伺った。橋本さんの手は休むことなく、迷うことなく動き続け、葉を摘みとっていた。葉陰にあるすだちの実に太陽の光をあてることで、果実を濃い緑色にする。また、隣同士ひっついて生(な)っている小さな実や既に傷のついた実を摘み取ることで、摘み残した実を丸く大きくする。簡単そうに見える作業だったので、少し手伝わせていただいた。予想に反して、私の手は惑い、とまってしまった。どの葉を摘めばよいのか、どの実を残せばよいのか、それはとても繊細な作業だった。何も出来ないまま、私は橋本さんに教えを請うた。

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「実がいっぱい付き過ぎとったら大きいにならん。それで摘果するんやけど、実が小さいうちはちょっと触っただけでも傷ができる。大きいになったら傷はつかんのやけど、実が一定の大きさになるまでに太陽を当てんとグリーンにならん。葉っぱをとりすぎると収量に関わる。それと来年の生り。生りっちゅうんか、収穫、収量に関わってくる。葉、もぎ取ったら、木が育つ上での資本金取ってしもとるけんな。来年の収量に関わってくる。そこまで考えて作業する。もともとはこんなこと(摘果摘葉)してなかったんでよ。すだちが売れ出して、(見た目を重視して)誰かがやり出したら、これええぞってなった。ほんまは葉裏(葉に隠れた場所)の方が酢(すだちの果汁)がようけあるのに、今は見た目がきれかったらええ。」

 

私たちはいつしか見た目を重視する価値観のなかに暮らすようになった。その価値観はすだちにも及び、果汁の多い葉裏のすだちは摘葉によって、太陽の下に出される。けれど、橋本さんがおっしゃるように、葉陰のすだちがより多くの果汁を含むということが、陽のあたる場所だけが豊かであるわけではないことを、そっと教えてくれているのかもしれない。

 

摘果摘葉の作業は7月中旬から下旬まで、太陽が眩しく照りつける炎天下で続けられた。

 

 

■収穫

すだちの旬を迎えた今(9月)、神山町のすだちは収穫の最盛期に入る。どのすだち畑にもたくさんの人が集い、早朝から夕方まで、一粒一粒、気の遠くなるような手作業での収穫が行われる。枝に無数のトゲを持つすだちの木は、実りの恵みを与えてくれるかわりに、収穫する人の手や腕を無傷では済ませてくれない。

 

橋本さんの畑にも摘果摘葉の作業をしていたいつもの顔ぶれが集まり、収穫作業にあたっていた。皆、高齢だが、「大将がやめんけん、やめれんわ」と笑う。その一方で「この年齢になって働ける場所、他にあるで? 有難い話じゃ。」とも。

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「長い付き合い。何十年やなぁ。ほなけん、年いとるわなぁ、皆。70代の人が多いわ。昔の人は案外仕事してきとるけん、するけんどな。この頃の若いし(若い人)、案外せんでよ。」

 

年齢を感じさせない体力、何よりもその持久力には舌を巻く。この力が、この町を今も支えている。この方たちが一線を退いたとき、この方たちの底力を失ったとき、この町は根本からその形を変えるのかもしれないと思った。

 

 

予措と冷蔵
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畑で収穫されたすだちは、橋本さんの自宅に運ばれ、土間や倉庫に敷かれたゴザの上に並べられていく。予措(よそ)と呼ばれる作業だ。収穫した実を並べ、一旦乾燥させる。天気が良い時なら4~5日。水分を5~6%減らすことで腐敗しにくくさせる。その後、乾燥したすだちは専用の袋に入れて冷蔵する。

 

「畑からもんたら(戻ったら)、選別して並べてな、実じゃって傷もあるし、病気もあるし、悪いんのけて。皆と一緒に収穫はしよんでよ。でも私は畑から家に持って帰ってきて、また全部選別しなおして並べないかん。ほれからまた畑に収穫に行く。並べたやつ、ようけ出来たら、今度冷蔵庫に入れなんだらいかん。冷蔵するために袋に入れるけんな、実の切り口がきちんと切れとらなんだら袋が破れてしまう。ほなけん、一旦枝から切って、切り口をもう一度平らに切る、二度切りっていうてな、収穫に手間かかる。採らないかんわ、選別せないかんわ、冷蔵庫入れないかんわ。」

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「まあな、裏方っちゅうんはな、雇とる人らとは違うところがあるわな。まあ、ほれが経営者じゃ。経営者はほんなもんじゃ。」

 

「やっぱり言えることはな、人間も一緒じゃ、若いときは勢いがいいんじゃ。冷蔵庫入れるんはな、若い実が勢いようて、えっと(長い間)冷蔵に耐えるわな。古い方が弱い。ところが味や香りは古い方がええな。人間もよう似たもんじゃ。」

 

早春、2月下旬から4月の下旬にかけて行う整枝剪定(せいしせんてい)から始まり、5月の上旬には小さな白い花が咲き、花が終わると、実をつける。実がある程度の大きさになったら摘果摘葉の作業を行い、8月の下旬から9月の下旬に収穫を行う。収穫した実を乾燥させ(予措)、冷蔵し、時期に応じて出荷していく。これがすだち栽培の一年の流れ。

 

 

■橋本さんにとって「すだち」とは?
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「納得して出来るようになるまでに10年くらいかかったな。初めてやけんな。今の人やったら、栽培歴とかあるけんな、わかるけんど、我々はわからんうちに行っきょんじゃけん。みかんとかな、ほんなんが一つの指標にはなるけんど。」

 

「すだちはまあ、我が人生じゃわな。我が人生、私はもうたいしたことないけんど、すだちがあったけん、栽培できる土地あるもんじゃけん、しゃあないわ。」

 

―すだち農家として必要なことは?

 

「経営者としてはな、一番は根性じゃわな。根性があったらなんでもできる。ひとつひとつ、こんなん教えたってな、知識だけではあかんとこがあるけんな。」

 

「それと、農業でのうてもな、商売にしてもな、『運』っていうんがあるわな。運命の『運』。ほれと 『鈍(どん)』であること。『敏(びん)』より『鈍』のほうがええ。ほれと『根(こん)』。『運・鈍・根』、これがひとつの鉄則じゃ。まあ、『運』はしょうないわ。」

 

-「鈍」であることとは?

 

「あんまり知識があって計算高うて、あっちを思い、こっちを思いする人は案外成功でけん。『敏』であるっていうんは頭が良うてなにするけんど、よう儲けんっちゅう人が多いわな。かえってひとつのことをじっくりするような『鈍』な人が・・・。やっぱりなぁ、『鈍』と『根』は続いたようなもんじゃ。『敏』は『根』と一緒におらんわ。」

 

 

■「じっと手を見る」~短冊に込められた思い~

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今年の地域の七夕祭りで、橋本さんは短冊に短い言葉を書いた。

 

「じっと手を見る」

 

石川啄木の歌、「はたらけどはたらけど 猶わが生活(くらし)楽にならざり じっと手を見る」の一節。

 

来年ですだち農家として60年を迎える橋本さんが、すだちと共に歩んできた時間とはどんな時間だったのだろう。

 

「ほうじゃなぁ。我々一次産業のもんは働いても大儲けはないな、じっと手を見る。それでもやっぱりすだちを残そうと思うけん、84歳、今年、すだちの木を植え替えしとるけんな。80歳にもなってまだ植えようって笑われる。」

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「すだちを植えとるこの辺の土地の条件としては平らでな、ええけん、木が若かったら、若い人でもしようかと思って借りてくれる人もおるかもしれん。古い木やったらな、管理に手間かかるけん、ほう思て植え替えしよん。」

 

「今(収穫の時期)、一番忙しいなぁ。くたびれいっとんじゃけど、せなしょうない。私がやめたらな、田んぼも畑もぱたっと止まる。」

 

「もう、これなぁ、84歳がするような仕事ではないんよ、可哀想に。わしも後継者ちゃんとあってなぁ。くつろいでしとったんやけど、その息子に死なれてしもて、なぁ。」

 

不意のことに、言葉が出なかった。

 

息子さんが46歳のときだった。

 

「何もかも任して、ちょっとなぁ、くつろいどったんじゃけどなぁ。東京の大学出て、ほんでこっちに帰ってきたん。山の境界とかみんな教えとったんやけんど、しゃあないわ。これも運命じゃな。」

 

「稲刈りしよってな、コンバイン使いよって、どうも腹が痛いっちゅうて、すぐに病院に連れて行ったんじゃ。ほのとき言われたわ、これようもって三年ちゅうて。今やったらだいぶ違うだろけどな、13年も前やった。」

 

癌だった。当時、お孫さんはまだ小学2年生。

 

「その子を大きいにせないかんと思って。」

 

橋本さんが今もなお現役を続ける大きな理由がここにあった。
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取材を始めるきっかけについて、冒頭で「80歳を超えた今なお、すだちの若木を植えつづける。そこにある橋本さんの想いを知りたいと思った。」と書いた。

 

息子さんの死という絶望の淵に立ち、それでもなお、木や畑を守り続けようとする橋本さんの姿。でも、橋本さんがそこで守ろうとしていることは、本当に木や畑だけなんだろうか。生きることは、そんな単純なことだろうか。

 

橋本さんの60年というすだち農家の歩み、そして、過酷な人生の経験、そういったお話を伺い、ある神学者の言葉を思い出した。

 

「明日世界が滅びようとも、今日私はりんごの木を植える」

 

これからも橋本さんはすだちを収穫し、若木を植えるのだろう。

 

短冊に書いた言葉。
「じっと手を見る」

 

橋本さんのその手には、すだちを作り続けてきた60年という時間と、若くして亡くなった息子さんへの思い、お孫さんへの思い、そして、まだ見ぬ後継者への思いが詰まっているように見えた。

 

文―田中泰子 写真―植田彰弘、田中泰子

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