「じいちゃん」と「ゆかりちゃん」と「梅干し」と

〈前編〉

「じいちゃん」と「ゆかりちゃん」と「梅干し」と

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里で梅の花が終わって桜が咲き始める頃、大久保定一さん(91歳)が暮らす山の上では、梅の花が満開を迎える。同じ神山町でも、里と山ではずいぶん気候が異なる。

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初代地域おこし協力隊の有正あかね(現・里山みらい理事長)が定一さんに出会ったのが6年前。そのご縁で私も定一さんのことを知った。定一さんのあたたかくてユーモアあふれる人柄に、いつしか私たちは定一さんのことを「じいちゃん」と呼び慕うようになった。今では「じいちゃん」のもとにたくさんの若者が訪れる。

 

そんな「じいちゃん」には孫娘がいる。「ゆかりちゃん」(大久保ゆかりさん(36歳))だ。進学と就職で徳島市内に転居していたが、10年前に神山に帰ってきた。今は、じいちゃんと共に梅干しをつくりながら、その技を受け継いでいる。

 

そんなふたりの暮らしを追った。

 

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じいちゃん

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じいちゃんは、山の家にひとりで暮らしている。もとは大久保家のお婿さんとしてこの家に来たのだが、奥さまはじいちゃんより先に旅立ってしまった。

 

「家内が仏壇におるんよな。毎朝ばあさんに『おはよう』って言うて仏壇の前を通る。寝るときは『おやすみ』って言うて、寝よんじゃけどな。」

 

大久保家で一所懸命に働いてきたじいちゃん。そんなじいちゃんが梅干し作りにたずさわるようになって今年で52年になる。

 

 

―梅干しを作り始めたきっかけは?

 

「私がここの家に来た時には養蚕が発達しとって、桑を手入れして10年ぐらいは蚕を飼うたんやけどな。ほれが下火になって、割と収入が上がらんようになったけん、これは何か方法を考えないかんわと思って、桑の間へ私が梅を植えたんよ。」

 

数年後、その梅の木がよく実をつけたという。これを好機に桑の木を全部掘り返して、桑畑を梅畑に変えた。それがじいちゃんの梅干し農家としてのはじまりだった。

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「昔は牛も飼いよったけんど、それもやめたけん、ようけ梅ができよったときは、空いとる牛の小屋に梅の樽を入れたこともあった。」

 

ー話が逸れますが牛も飼っていたんですか?

 

「飼いよったなぁ。畑を耕すんもあったし、子を産まして、子を市(いち)に出しよった。それも下火になって自然に皆飼わんようになったなあ。」

 

「私が来た頃はこの地区のどの家も牛飼いよった。雌の子ができたら高うに売れるけん、雌ができたらお祝いしよった。皆呼んでご馳走こしらえて食べてな。昔はほんまよかった。」

 

―じいちゃんにとって「梅干し」をつくることとはなんですか?

 

「とにかく、これで生活しようって言う、ほのことが強かったな。これを作って、一代生活しようと言う。最初は失敗もし、色々ありました。ほなけんど、これを作った以上はやり遂げなんだら笑われるけん、これで一代暮らそうと。ほんでまあ今まで来たんじゃけどな。」
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「でも、今では私も歳取って、明日の日がわからん。悲しいのは、梅も老木になっとんよ、私と一緒で。」

 

―そんな中、ゆかりちゃんが帰ってきて手伝うようになったことは?

 

「ほらぁ、嬉しい。最初は2、3年したら嫌んなって、辞めてどこかへ勤めに行くやら、わからんと思いよったけど、今でもおるけんな。全て私の技を覚えとる。教えんでもみな知っとるけん、ちゃんとしてくれる。もう任し切っておるんやけどな。」

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「まあでも、私が死んだらもうおそらくせんと思う。木も老木。実もならんわだ。それに梅は植え替えてもなダメなんよ。同じ場所だったらあかん。梅の木が枯れたけんって言うて、その付近に植えてもダメ。」

 

「ゆかりも私が死んだら、何か方法を考えて他の就職につくか、同じ百姓をするんだったら、何か違うもんでもやろうかと言うかもわからんし、それは知らんのやけどな。聞いて見たこともないし。梅はこの一代で終わるんでないかなあと思うんよ。寂しいことやけど。」

 

それでもじいちゃんは、まだ梅の木を植えてなかった畑の一角に、新たな梅の苗木を植えている。苗木は今のところ順調に育っている。未来はどうなるかわからないけれど、若々しい苗木に、ゆかりちゃんには言わないじいちゃんの思いが託されているように感じた。

 

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ゆかりちゃん

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ゆかりちゃんは里で暮らしている。農繁期と農閑期とを問わず、山のじいちゃんの家に通い、夜、じいちゃんがお風呂から出てくるまで見守ってから帰る。

 

「お風呂が入ったら湯沸し器が「お湯が入りました」って言うんよ。ほしたらじいちゃん、それに『はい、ありがとう』って答えよんよ。」とゆかりちゃんは笑いながら教えてくれた。

 

ゆかりちゃんがじいちゃんと梅干しを作るようになって9年。

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取材を始めるすこし前、「じいちゃんの跡を継ぐということは重責ではなかった?」と聞いたことがあった。

 

ゆかりちゃんからは、拍子抜けするほど軽い口調で「いや、当たり前だった。」という答えが返ってきた。その時のことをあらためて尋ねてみた。

 

―「当たり前だった」という言葉を前に言っていたけれど‥‥。

 

「当たり前っちゃ当たり前だったな。神山に帰ってきてすぐ何もすることないし、ほんで、し出した。別に深く考えてなかった。時期的に春だったから、とか(笑)。」

 

―大変そう、とは思わなかった?

 

「覚えてないんよなぁ。多分毎年、暑い思いながらしよるはずなんやけど、去年のことも覚えてないよなぁ。ほんまに暑いときは、嫌で嫌で『イー』ってなっとんやけど覚えてないんよ。『あれ、暑かったっけ』みたいな。だからまたスタートができる。」

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ー以前、「仲間と出会えたんは大きかったな。『やろう』というか『やれるかも』と思った。」と言っていたけれど?

 

「言った気がするな。ありっちょ(有正)が最初やな。それで、色々広げてくれた。梅干しのことも、ここに来てくれる人も。そこから、梅を通じての友だちが増えたな。こうやって梅干しつくってなかったら、帰ってきても多分、顔知っとるぐらいの関係でぇ。市内で住んどるときも、友達というか仕事仲間はおったけど、また違うよな。濃さが違うんかな。何かを作る・・・。何か一つを作る、作り上げるって言うんは。だって、手伝ってって言ったら、みんな来てくれるし、なぁ。」

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―そういう出会いはゆかりちゃんにとって‥‥

 

「大事やなぁ。普通、山に帰ってきて友達が増えるかって言うたら…。ましてや大人になってからって…なぁ。帰ってきてよかった、よかったんちゃうかな。でも、それもじいちゃんのお蔭なんだろうな、多分。」

 

―帰ってきてからの時間、ずっとじいちゃんのそばでいて、思うことは?

 

「じいちゃんの力がだんだん弱なってきよる。私の力仕事が増えていく。」

 

―これからのことは、考える?

 

「考えないかんけど、考えんようにしてる。まぁなぁ、難しいよなぁ。梅を採って漬けるだけならいいけどな、夏は草も生えるし。梅を採るのに人手がいる。採るのも熟れたやつからとるけん、その熟れとるやつを見極めるのが慣れてなかったら難しい。人雇うったってなぁ、それだけの収入があるんだったら定期的に雇えるけど、自然のものやけんな。できん時もあるし、出来たら出来たで仕事が増えるし、難しい…。」
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9年間、ゆかりちゃんはじいちゃんのそばにいた。梅を採るときも、梅を漬けるときも、ごはんを食べるときも。そして、今、じいちゃんからは「任せきっとる」と言われるまでになった。

 

じいちゃんが言葉にしないゆかりちゃんへの思いを抱いていたように、ゆかりちゃんの中にも言葉にしていないじいちゃんへの思いがある気がして、聞いてみた。

 

―ゆかりちゃんにとって、じいちゃんはどんな存在?

 

「どんな存在?どんな存在だろうな。・・・考えたこともない。難しい質問したな、どんな存在だろうな。ただのじいちゃんでしかないとは思うけど・・・。うん、ただのじいちゃん(笑)・・・かな。」

 

「ただのじいちゃん」、私はこの言葉が胸に響いた。

 

技術も知識も引き継いだ孫娘のそばに佇む「ただのじいちゃん」、91年という歳月を背負った「ただのじいちゃん」が、今を生きるゆかりちゃんを励まし、支えているんだと思った。
梅干しを通じて出会い直したじいちゃんとゆかりちゃんの稀有な関係は、今日もまた紡がれている。
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近日公開予定の「〈後編〉梅干しをつくる」につづく

 

 

文/田中泰子

写真/植田彰弘

編集協力/ナツノヒ

 

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