“うけ継ぐもの” と “ひき継ぐもの” 〈 後編 “ひき継ぐもの” 〉

神山にも秋の気配がたちこめてきた。

 

空には無数のトンボが飛び交い、あぜ道には彼岸花が咲いている。

稲刈りが終わった田んぼのうえを乾いた風が吹きぬけてゆく。

 

久しぶりに橋本純一さんのお宅をたずねた。

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例年通り倉庫には大量のすだちが並べられ、奥さまの令子さんが袋詰め作業をされていた。

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「いつもだったら、他の部屋も全部すだちで埋まっとんのにな。今年は少ない。」

 

豊作だった昨年とは打って変わって、今年は裏年(実りが少ない年)。

どこのすだち畑からも不作を嘆く声が聞こえてくる。

 

田植えより少し早い3月に整枝剪定作業がはじまり、稲刈りより少し遅い9月に収穫を終えるすだち栽培。すだちの長いシーズンが今年も終わろうとしている。

 

 

■自然は自分で考える

 

季節を巻き戻すこと4か月。すだちの木が一斉に開花する5月ごろ、橋本さんの畑の若木もたくさんの花を咲かせていた。すこし肌寒くなった今となっては、初夏を告げるすだちの花の甘い香りが懐かしい。

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「若い木は次から次へと葉っぱ出してきて、そこからまた花芽をつけて、咲いていく。古い木になったらそうはいかん。」

 

花の時期に訪ねたとき、若木の横にある古木を見つめながら、橋本さんが昔の話をしてくれた。

 

「この木植えたん、昭和34年ぐらいかなぁ。」

 

―昭和34年・・・。東京オリンピックより・・・前ですね!?

 

「当時はこんな立派なビニールハウスでのうてな、ふたつビニールが垂れ下げてあって、太陽が照ったら、ちゃっとそのビニールを上げてな、中の温度下げよった。ほんで冬がきたらストーブ入れてな、温度保っとった。最初はほんなんだったんじゃ。」

 

-昔のだるまストーブですか?

 

「そう、普通のな、家で使う、丸こい、大きいストーブ。これを3つ入れるんじゃ。据えといて日に日に灯油をもって行って入れるんじゃ。夜つけて、朝消してな。今は全部モーターで出来るようになったけどなぁ。」

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「一回なぁ、県会議員しよった人があって、ほの人が初めて立候補するとき、『家貸して』って言うてな、みな、家に集まったんじゃ。寒いと思て、ハウスに入れとったストーブ持ってきて、家が温もるようにしたら、みんなで酔うてしもて、ストーブ、ハウスに返しとくん忘れてしもてな。

 

明くる日きたら、ハウスの中、霜いっぱいで、木は真っ黒じゃ、凍ってな。もうこれ済んだと思うたけどな。ほなけんど、案外あとから芽出てきたやつは花つけたな。」

 

―寒さにはけっこう強い?

 

「最初のうちやけん、品種改良もしよったから、それぞれやった。刺の大きいやつは高温に弱い。ところが低温になったら、葉っぱや刺の小さいやつは弱くて、刺の大きいやつは強い。自然ってほんなんよ。ほれともうひとつ、やっぱりトゲの大きいやつが香りが強いな。」

 

―それはトゲが大きいほど、本来のすだちに近いってことですか?

 

「ほうじゃ。実から育てたらな、トゲが大きい。ほれと香りやいうんがきたらなぁ、やっぱりトゲの大きいやつが香りが強いな。自然ていうんはな、自分でよう考えてしよるでよ。もう、60何年もしよったらほんなもんじょ。」

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■肥沃の秘密

 

―この前、宗徳さんにお話を聞かせてもらった時、橋本さんのところのスダチは実がなるんがすごい早いっていうお話をされていました。

 

「ほうじゃなぁ。宗徳さんのところに比べたら、ここは土はええわなぁ。」

 

「肥沃度が髙いんじゃ。なんでかっていうたらな、ウチは畑が家から一番近い。周囲は全部田んぼじゃったけどな。ほたら、田んぼだったら生ゴミとか放れんのやけど、畑には絶えずもってきて放りょった。長年ほうしとるけん、土が肥沃なんじゃ。」

 

宗徳さんは、前回の記事でも書いたように、橋本さんの畑に養分が多いのは、土地の勾配がゆるいからカヤを入れやすかったんじゃないかとおっしゃっていた。あるいはそういう側面もあったのかもしれないけれど、橋本さん自身の口から出た言葉は意外にも、日々の生活から出る生ゴミの話だった。すこし可笑しみも感じるけれど、何代もこの家で暮らしてきた人たちの日々の暮らしの蓄積が、現在のすだちの実りを支えているのだと思うと、不思議な時間のつながりを感じる。

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■畑を借りてくれたのは縁のある佐々木家だった

 

「私やは自分がこれからなぁ、すだちをやっていくっていうよりはなぁ、若い人が借りてくれる人があるって思てな。ウチ、割合土地がええ場所じゃけんな。荒らしておけんでぇ。若い木にしといたら、誰か借ってくれる人がおると思てな、若うにしてある。もう85歳になって齢いくばくもないわ。もう孫も家にはおれへんしな。」

 

―橋本さんは、担い手というか後継者が現れたらいいなぁと思って、ずっとすだちの木を植えられてきたと思うんですけど、かつて果樹園芸同志会で一緒にすだちを始めた佐々木文雄さんのお孫さんの宗徳さんが畑を借りたい、すだちを作らせて欲しいってお願いに来られたときはどうでしたか?

 

「誰か借ってくれる人はないかと思てな。ほたあの人熱心な人やけんな、すだちもええん作るんじゃ。今よそにも出しよるんじゃろうけど、徳島青果でも出したらトップはあの人じゃ。ここら辺は割合専業やでなしにサラリーマンでつくりよる人多いけんな。こんだけ農業熱心な人がな、借ってくれるというけんな、喜んで借ってもろた。」

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「宗徳さんは田んぼだったところをな、借ってくれとる。ほなけど言よんじゃ。もうおまはんこっち大層になったら向こうの場所がええけんな、土も深いんじゃ、向こうに作ってくれよって。」

 

―もう言ってるんですか?

 

「言よんじゃ。」

 

 

■ひとり残されたパイオニアとして

 

大切に育てている若木とすだち栽培の未来を託したいと思える宗徳さんにようやく出会った一方で、果樹園芸同志会のメンバーとして60年前からすだち栽培を開拓してきた仲間は高齢となりこの世を去っていく。

 

―この前お亡くなりになられたのが・・・

 

「高橋衛さん。」

 

―開拓時代を一緒に過ごして来た方は・・・

 

「ええ、もう誰もおらんようになってしもた。」

 

―果樹園芸同志会の中では橋本さんは若い存在だったんですよね?

 

「特別若かった。」

 

―年上の方たちが亡くなられて、パイオニアとして残された一人になった今、どんなお気持ちですか?

 

「せっかくしてきたんやけん、やっぱり残さないかんわなぁ。ほなけん、80なんぼになっても若い木植えようでぇ。残すためにはなぁ、やっぱり木が古うなったらなぁ、作っても作りにくいけん。剪定する技術もいるし。若い木についたら、木が若いけん、いろいろ覚えていく。」

 

「もうほんま、85が来とんじゃ。昔やったらな、あんまり生きとらんわ。でもまだ第一線(笑)。」

 

「ほなけど、もう終戦じゃ。」

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ほなけど、もう終戦じゃ・・・。

橋本さんが最後に漏らした言葉が耳に残った。

 

橋本さんの戦いは、すだちの栽培を成功させることだけではきっとなかったと思う。息子さんが亡くなられたことへの深い悲しみ、断ち切れぬ愛情と哀惜、それでもここ神山ですだち栽培をやめるわけにはいかなかった労苦や苦悩。

 

森に堆積する腐葉土のように、1日1日の思いや出来事を積み重ねながら、85年という歳月を生きてこられた橋本さんの心の中は、私にはとても計り知れない。軽々しく計り知ろうとすることに罪深ささえ感じる。

 

森はいたずらに知ろうとする者にではなく、畏れる者にその真の姿を見せてくれる。だから私も、きっと森のように複雑で豊かな橋本さんの人生を畏れて、ここでいったん口をつぐみたいと思う。

 

橋本さんはきっとまだ若木を植えるだろう。

宗徳さんのために、そして第二、第三の新たな後継者のために。

 

今は亡き息子さんに託したかった思いが、いつの日か若い後継者たちの思いと交わり、橋本さんがようやくほっと一息ついて、長い戦いの日々を終えるときのことをまたここに書きたいと思う。

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文-田中泰子

写真-植田彰弘、田中泰子

 

(関連記事)

“うけ継ぐもの” と “ひき継ぐもの” 〈 前編 “うけ継ぐもの” 〉

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「じっと手をみる」 あるひとりのすだち農家

http://satoyama-mirai.jp/series/450

共に歩んできた60年という時間

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