“うけ継ぐもの” と “ひき継ぐもの” 〈 前編 “うけ継ぐもの” 〉

9月。神山では、すだちが出荷シーズンを迎え、晩夏の日差しのもと、収穫作業に追われる農家さんの姿が町のあちこちで見られるようになった。

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佐々木宗徳(ささきたかのり/41歳)さんも、そんな農家さんの一人。

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昨年、すだち農家としての還暦を迎えた橋本純一さん(85歳)の取材をさせていただいた。
(「じっと手を見る」あるひとりのすだち農家 http://satoyama-mirai.jp/series/450 )

たかのりさん3

 

きっかけは 「橋本さん、今でもすだちの苗木植えよんでよ、84歳(当時)でよ。」という佐々木さんの言葉だった。
佐々木さんは、自身の所有するすだち畑とは別に、橋本さんの畑も借りて、すだち栽培を行っている。そのため、すだちの若木を今なお植え続ける橋本さんの姿を間近に見てきた。

 

佐々木宗徳さんの祖父 文雄さんは、橋本さんと同じく、神山ですだち農業を本格的に始めた「果樹園芸同志会」の創始メンバーだった。「変な縁やね」と宗徳さんは言う。

 

■宗徳さんがすだち農家をはじめるまで

 

「俺はすだちが家にあって、すだちを作ってて、ウチが、ただ、すだち農家であって、いろんなことで迷ってた時に家に帰ってやろうかなと思ったっていう、それだけじゃわ、最初は。」

 

「中学の頃も農業するとか考えもせずに、ただ言われたまんま農業高校に行って、なんとなく農業大学校行ったんやけど、農業大学校も農業高校と知ってることがあんまり変わらんくって。ほれとどうしてもお小遣いが少なかった。友達は働いとったから、自分も学校やなくて働いたほうがいいんじゃないんかなと思って、働き始めたんかな。」

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19歳のときにしいたけ農家に働きに行った時のことをこう語る。

 

「意味がわからんのやけど、あれ(笑)。きらいなんよ、しいたけ。
自分の中で、苦痛やったけどね。先輩が仕事に行くことになって、一緒に行くっていう話になって、それでなんとなく行って。でも結局農家やから、休みはバラバラやし、あんまり休ましてくれんし、時間も長いし、やっとれんなぁと思って、すぐ辞めた。」

 

その後、木材関係の仕事、自動車関係の仕事と職を変えた。

 

-それは正規の就職として?

 

「そう、就職として行ったんやけど、やっぱりほの時間がね、若いから無理でしょ。7時までになってるけど、仕事が多かったら8時とかになるし、まあ朝早かったら6時半とかに行かないかんしね、こんなんやっとれんなと思って。で、次、木材関係行ったんかな。木材は普通に働いとったんやけど、なんとなくそれも自分で辞めて、それで自動車関係に勤めて。自動車って結構、ね、柄悪いんで(笑)。そのまま勤めると抜け出せれんようになるかなと思って。逃げたような形かな?で、結局、何しようかになったときに、とりあえず家帰ってみよかになって。それが23歳のときかな。」

 

佐々木家は祖父の代からすだちをつくってきた。宗徳さんは三代目のすだち農家ということになる。

 

 

-初代のおじいさんは?

 

「ウチのじいさんは変わっとった人なんよ。変わっとるって言うんは、結局なんでもする人なんよ。メロン作ってみたり、きゅうり作ってみたり。すだちの前とかね、いろんなもんつくって、橋本さんもよう言うけど、御蚕さん(おかいこさん:養蚕)も。メロンだったかな、こんなでかいメロン作って売れなんだ、とか言よったよ。前はスターチスとか植えとったなぁ。それもじいさんやなぁ。いろいろやってたみたいなわ。

 

その前やは、山ん中でね、しいたけ原木でつくっとったみたいなわ。一通りやったんでないかなぁ?結局すだちが一番儲かったんだろうねぇ。時代の流れで、すべてがうまいこと行ったんだろうねぇ。」

 

23歳で神山の家に帰って来て、二代目の父 信綱さん(66歳)のもとですだち農家となった宗徳さん。今年で三代目すだち農家として18年目を迎える。

 

 

■父とともに働く

 

「言われたことしよんは、今でも変わらん。分かろうとしよらんのかな。分かろうとしてないんかもわからんけどね。

 

いや、ねぇ、やりすぎても良くないし、やれるうちは親父がやってくれたらいいんかなぁと思って。まだまだ僕がダメやと思ったら、親父がやるやろし。言い方変えると、ずるいんかもわからんのやけど・・・。いつかは自分も変わらないかんのは分かってる。でも、まだこの状態の方がいいんじゃないのかなぁ、と思ってる。」

 

「親父を超えたいっていう気持ちはあるけど、超えてしまったら超えられた人間、ねぇ。超えれん・・・ほれが一番いいんかなぁと思ってる。亡くなってしもたら超えれんけんな、完全に…と思っとんな。

 

今のうちやけん、なんでも教えてもらえよって言うけど、そこをなかなか、ね…。
親父はまだ僕のことをどうしようもないなぁと思っとるやろうけどなぁ、そんでいいと思う。なんでも出来てしもたらそんな、なんの意味もないでしょ、ほの人が。親父とは違う僕やが出来ることを、僕がすすめて行ったらいいかなと思って。」

 

-自分の中で何か自信がついてきたなぁと感じる部分は?

 

「自信や言うんはなかなか難しい、まだまだ。できようようで、できよらんし、全然。親父ほどは出来んわ、多分。僕は基本したくないからね。でも、したい人やから、親父は。バリバリ仕事する人。例えばどこか行って帰ってきても、一時間あったら一時間でも畑行って、仕事する人。一時間あったら僕、寝る人やから。だからそこは全然違う。」

 

 

「これまでのやり方もいいと思うんやけど、また違うやり方もできるんかなと思う。時代が来たら時代で変わっていくんやから、どんどん変えていったらいい。これでなかったらいかんって言うんでないからね。」

 

祖父がたどってきた時代とも、父がたどってきた時代ともまた違う時代を、農家として試行錯誤しながら生きる宗徳さん。

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最初に取材に伺ったのは、今年の3月の終わりだった。畑では父 信綱さんもすだちの木の剪定作業をされていた。

 

-お父さんの信綱さんと一緒に働くことに対しては?

 

「親子やから、難しい。
まあ、ほなけどね、話しやすいし、頑固ではないし。僕も意見言うけどね、いい争いはしない。例えば今年んなって、僕がこれを言いました。でも親父は聞いてくれません。そりゃそうやなぁ。でも、一年経って、結果が出て、僕のやり方が正しかったかなぁと思ったら、あぁ、そうやなぁって言うて変える、ってなるから親父は柔軟性があるんやな。普通、変えんじゃないですか。

 

それにいろんなところで僕が資料持って帰ってきたら、無造作にわざとに置いとくんよね。そしたら見てるわ、熱心なけんね。

 

それが親父の性格やから、僕も分析しながら、喧嘩せんように。喧嘩したら損でね。止まるでぇね、仕事が。どこまで行っても親子やもん、ほなって。」

 

■橋本さんの畑を借りる

 

10年前に、佐々木家は橋本さんのすだち畑を借りることになった。その経緯をうかがった。

 

-それは橋本さんの方から声がかかったんですか?

 

「いえいえ、違うんですよ。うちのすだちの木はじいちゃんが植えたから、もう木が古い。そうなると収量が見込めんから、その古い木を伐って、植えたかったんよね、新しい木を。でも伐ったら収入が減るんよ、木が育つまで。それを穴埋めするんはどうすればいいんかなって。そしたらよそのすだち畑を借りれたらいいなぁっていう話になった。

 

そこからやな、親父の同級生が『橋本さんとこ聞いてみたらわ?』って言うてね、橋本さんに聞いてみてくれた。橋本さんは、貸したかったけんど、どこの誰かわからない、佐々木さんて誰で?っていう話になって…。

 

それで、俺と親父と二人で橋本さんの家に、「貸してください」って頼みに行ったら、うちのじいさんが果樹園芸同志会のときの先輩やとわかって、逆に橋本さんの方から、ほな借りてくれへんで、みたいな話になって。」

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-そのとき橋本さんは喜ばれてましたか?

 

「いやー、そんなには喜んでなかったかなぁ、当たり障りのない話やし、僕も橋本さんのこと、そんなにも知らなかったし、親父もそんなに。じいさんとは関係があったけど、自分たちはそんなにもなかったしね。まさか、まさか、そんなところで借りるとは。でも、うちだったけん貸してくれたんかもわからん。」

 

こうして借りることができた橋本さんの畑のすだちは、驚くほどの成長の早さだった。

 

「いや、すごいなぁと思う。成長の早さが全然違うんよ、植えても。僕んち植えてから、実を採るのに8年ぐらいかかったのに、橋本さんの畑、5年以内で採れる。スピードが違う。

 

土地がいいんやね。土がいい。深いんやろうね、多分。うちなんて、下が浅くて岩盤なんよね。ほなから大きくならない。いやぁ、違うなぁと思って、それは感心したな。

 

畑自体も勾配っていうか、坂もそんなにきつくないところにあって、まわりに道も多かったから、昔で言うたら、カヤ(肥料に用いられる草)を刈ってきたり、そんなんを植えとったんやろうなぁ。僕なんか方はそんなんできんかった、山を切り開いた土地やから。今は車やけど、昔って荷車で引っ張って行って、カヤをいれる時代だったから、なかなかできないよね。橋本さんとこはゆるく平らなところやから、荷車でいれれるところやったから、畑の養分とかも違うんやろなぁ。」

 

 

■若木を植える橋本さんについて

 

宗徳さんが、橋本さんの畑の一部を借りてから、約10年が経つ。宗徳さんは、橋本さんの栽培方法とは異なる佐々木家の方法ですだち栽培を行ってきた。橋本さんは、佐々木家の独自の方法に対して、口をはさむことはなく、いつも静かに見守ってくれていた。そんな中、宗徳さんが目にした光景があった。84歳にして、なお、すだちの若木を自身の畑に植える橋本さんの姿だった。

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「僕と親父と二人でね、橋本さんが実際に植えてるのを見てる。『いや、植えてるよ!』って。『どうするん?』って感覚よね。当然そうだと思うわ。あの歳で跡継ぎおらんのに、なんで植えるん?みたいな。

 

橋本さん言うには、『植えとって木がいい大きさになっとったら、借りる人が出来た時に借りやすい』って。当然そう。でも、それってお金かけることやから、そんなにお金かけても意味がないんちゃうっていう感覚やったんよね、僕もね。ほやけど、わからん。ひょっとしたら…ひょっとしたら借りる人出来るんちゃうんってね。継ぐ見込みのない畑に若い木を植えるっていうのは前例がないことやから、やってみよんでない?みたいな。

 

ひょっとしたら、誰かが借りることになるかもしれん。今、大学に行っきょる孫さんが帰ってきてねぇ、それもわからん、ゼロでない。」

 

-あるいは後継者の望みを宗徳さんに託されていると感じることは?

 

「それはしょっちゅうやな。プレッシャーはあるよ。

 

多分、橋本さん自体は、うちのじいちゃんに誘われた感じもあるでぇね。一番最初にしたとき、橋本さん24かなぁ、ほのくらいで、うちのじいちゃんが四十なんぼだったんかな、もうちょっと年取っとったはず。で、こないだ、橋本さんなんぼ? 八十・・・四か。ウチのじいちゃん生きとったら100超えとうっていう話。うちのじいちゃんと橋本さん、ほんだけ年離れとったんやなぁって。

 

結局は、橋本さんは多分、世に残せっていうか、こう伝えようって言うんがあるんちゃうんかなぁ。みんな死んでおらんもんね。橋本さん、生きて残さなあかんのでないかなぁ、多分ね。

 

変な縁やね。変な縁ですよ。ほなってうちの土地ここしかなかったからね。鬼籠野(おろの:橋本さんの畑がある地域)まで行って、すると思ってなかったのにね。」

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■東京へすだちの営業に

 

農家さんとしてすだちを作りながら、宗徳さんは今年初めて、里山みらいの東京すだち遍路の開催に合わせ、東京へすだちの営業に行ってきた。

 

「営業は里山みらいのスタッフに助けられて。ほとんどやってくれた、今年はね。今年やって、来年も行けたらいいかなと思って。

行って、すだちを使ってくれる人の顔を見て、話しできると、使ってくれるんありがたいなと思ったし、どんな使い方してるかな、というのも気になった。その中で昨年使ってくれていた人が、まだ僕たちがすだちを出荷してない時期にも関わらず、すだちを使って料理してくれてたのがすごい嬉しかった。やっぱり行って、見るっていうんが大事かなって。

 

ほれと、農家が思ってるいいすだちと、使う方が思ってるいいすだちは違うんだなと。緑がこくて、丸くて、小っちゃくて、3cmちょっとの大きさのすだちがいいすだちと思ってたけど、買う方からすると、お手頃で、大きくても小っちゃくても自分で使いたいと思うすだちがいいスダチなんかなと。だから、そこまでやらんでもいいのかな、と。ある程度やったら、もっともっと作って、もっと使ってもらえるようにしたらいいのかな、と。農家自身が、“こうでなかったらいかん”っていうんを勝手に思いすぎるんはどうかなっていうんは思ったかな。」

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-つくりながら、営業も、となると大変では?

 

「でも、企業ってそうじゃない。なんの商品でも、つくって自分やで宣伝して、売っていくのが普通やけど、農家が特別で、売ってもらってるって感じがあるのね。自分でいいものを作っても、農家って市場のセリ人に値段をつけてもらうっていう。ようけ(たくさん)あったら売れないし、少なかったら高くなるし、それもどうかなと思うんで。だから、営業して、農家が直接、欲しい人に届けるっていうのはいいと思う。

 

自分のつくってるすだちを全量欲しい人が現れて、思った値段で買ってくれるんが理想。半分でもそうなればいいかなと思う。そうすると農家が増えるんじゃないんかな。一生懸命つくっても、市場に出して値段つけてもらって売れなかったらそこで廃業でぇねぇ。だから自分たちがやらんと。営業がある程度うまくいったら、つくる人も増えていくんじゃないかと思う。」

 

-後継者を育てたいという思いは?

 

「育てたい、みたいな気持ちはあまり今ないけど、自分のこどもにやれとは言わないけど、自分の孫がしてくれるようにはしとかなあかんかな、と。息子にはなかなかね。けど孫が見て、じいちゃんすごいな、と思ってくれて、やるって言ってくれたら最高かな、と。」

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「孫がおるっていうことは、結局、自分の息子は結婚して、家におるっていうことやから。ということは、次につなげる可能性はできるからね。孫が見て、かっこいいからしてみたい、と思ってくれたら…。自然の流れで。やれやれっていうんじゃなくて。それまでにある程度、収益が出て、プラスでいけよったらやってくれるんじゃないかな。

 

まぁ、普通に家族がおって、息子がおって、その孫も一緒に住んで、になったらいいんじゃないかな。いろんな方法があるんかなぁ。」

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佐々木家では、一日のすだちの収穫量が、多いときには500kgに及ぶ。
すだちの木には無数のトゲがあるため、両腕を覆う専用の手袋をはめて、一粒一粒、丁寧に手作業で収穫される。コンテナ一杯が20kg。500kgはコンテナにして25箱。これが人の手による一日の収穫量だと思うと、想像を超えるその膨大な労力に途方に暮れそうになる。

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今年もまた、収穫がはじまった。
夏の終わりを惜しむようにヒグラシが鳴きしきる中、作業は9月の終わりまで続く。

 

 

時代の流れとともに人は老い、木もまた老いていく。
しかし、老木の横でそっと若木が育つように、橋本さんと不思議な縁でつながったある若い農家が、今ここで、未来を模索しながら、すだち農家としての新たな歩みを続けている。

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文-田中泰子
写真-植田彰弘、田中泰子

(後編 “ ひき継ぐもの ” につづく )

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